
山本 直樹(やまもと なおき)
60歳で第二の人生として選んだ「治療家」という道
HPをご覧いただきありがとうございます。
神経整体リカバー 代表の山本直樹と申します。
私は、もともと中学校の美術教師として長年教壇に立っていました。
鳥取大学教育学部 中学校美術専攻を卒業後、鳥取県西部地区を中心に、
美術の授業や部活動の指導に情熱を注いできました。
若い頃から競技スポーツも続けており、顧問として専門競技の指導も行っていました。
しかし50代になる頃、長年続けてきたスポーツの影響から、膝の痛みに悩まされるようになりました。
次第に痛みは強くなり、スポーツどころか、毎日教室に上がる階段さえ苦痛に感じるほどになっていきました。

小波津メソッドとの出会いが人生を変えた
そのつらい膝の痛みの中で出会ったのが「小波津メソッド」でした。
初めて施術を受けたとき、驚くほどソフトな施術にもかかわらず、
それまで悩まされていた膝の痛みが嘘のように軽くなり、心から感動したことを今でも覚えています。
「なぜこんなにやさしい施術で、ここまで結果が出るのか」――。
その不思議さと可能性に強く心を惹かれ、
「自分でもこの技術を学び、人の役に立ってみたい」と素直に思うようになりました。
最初は趣味の延長のような気持ちで学び始めましたが、
身近な人たちに施術を重ねる中で、その効果を何度も目の当たりにし、
「いつか本物の治療家として、多くの人の力になりたい」という想いが芽生えていきました。

義母との別れがくれた「もっと人の役に立ちたい」という使命感
私がこの道に進む覚悟を決めるきっかけとなったのは、義母の死でした。
義母はとてもやさしく、いつも家族や周りの人のお世話を喜んでしてくれる人でした。
私も若い頃から本当にたくさんお世話になり、「いつも自分を気にかけてくれている」という安心感を与えてくれる存在でした。
そんな義母が脳梗塞で倒れ、入退院を繰り返す中で、徐々に身体の機能が低下し、ホームでの生活を余儀なくされました。
当時の私はまだ小波津メソッドを学んでおらず、
面会に行っても、楽しく会話をしたり手を握ってあげたりすることしかできませんでした。
その後コロナ禍となり、面会もできないまま時間が過ぎ、
約4年の時を経て義母の訃報を聞いたとき、私は大きなショックを受けました。
久しぶりに対面した義母は、私が覚えていた姿よりもずっと痩せ、静かに横たわっていました。
その姿を見ながら、
「もっと早く小波津メソッドを学び、なんとか面会の機会を作って施術ができていたら、
義母はもう少し楽に、もう少し長く生きられたのではないか」――。
そんな後悔の思いが、何度も何度も心の中で繰り返されました。

「本当に治せる治療家」として、鳥取でできること
日本は高齢化が進み、重い病気や慢性的な症状に苦しむ方がたくさんおられます。
昔からの知り合いに会えば、皆どこかしらに不調を抱えている――それは、私自身も同じです。
小波津先生は、常にこうおっしゃいます。
「僕一人ではとても足りない。病気や障害、ケガで苦しんでいる人はたくさんいる。
だからこそ、本当に治せる治療家になって、一緒にがんばってほしい」と。
義母との思い出と、師匠のその言葉が重なり、
「これからの人生で、もっと人の役に立ちたい」という想いが私の中で大きく膨らんでいきました。
そして整形疾患・内臓疾患・難病疾患へのアプローチを体系的に学び(マスタープロジェクト修了)、
60歳を節目に教員を退職し、整体院を開業する決意を固めました。

痛みや不調で悩む方へ ― どうぞ安心してご相談ください
開業までの間に、150名以上の方にモニターとして施術をさせていただき、
ほとんどの方に改善を実感し、喜びの声をいただくことができました。
まだ道半ばですが、「動ける喜び」や「痛みから解放された安心」を共有できることが、今の私の大きなやりがいです。
整形疾患・スポーツ疾患・内臓疾患・難病疾患など、
どこに相談してよいかわからない不調をお持ちの方も、どうぞ一度ご相談ください。
病名や年齢に関わらず、「少しでも良くなりたい」というお気持ちに、全力で寄り添います。
皆さまのお身体と向き合い、「痛みのない未来」「再び動ける未来」をともに目指していければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
令和7年4月吉日
神経整体リカバー 代表 山本 直樹
